■くつろぎ憩いの空間としての和室      丸山保博


深い庇の下で腰掛け、畳に寝転び外の景色を眺める。

今でこそ珍しくなってきましたが、日本人であれば誰でも

何ともいえぬ心地よさ、豊かさを覚える空間でありましょう。

その感覚の源流を遡れば、寝殿造、書院造と変遷した日本の建築の流れとは別に、

それ以前からその底辺に脈々と流れている空間であるような気がします。

どちらかといえば農家の民家の空間に近いものかもしれません。

坐り、寝転び、そこに囲炉裏が切ってある。

その囲炉裏は焼いたり煮たりの効用もありますが、いわゆる「団らん」という

精神性も兼ね備えています。

さらに、時代を遡れば内部の土間に藁や籾殻を敷きそれに坐り、

必ず中央に炉を設けた石器時代の縄文の竪穴住居までいきつくようです。

その畳は、乾燥させた稲藁を積重ね圧縮したものを芯の畳床とし、

表面に畳表を張ります。畳表としてのイ草は優れた吸放湿性と弾力性を持ち、

肌触りも良く、敷物としては最適な素材のひとつでしょう。

畳はもちろん日本の風土に合った床材料ですが、それ以上のものを感ずるのは

私だけでしょうか。

視線を低くした生活に結びついた自然のこまやかさや豊かさ等

単に素材の性質を超えたつき合いを、畳は私たちに問いかけているのかもしれません。





■フレキシブルな空間としての和室


和室の大きな特色として「何にでも使える」ということが挙げられます。

洋間に置かれた家具、いす等による行動がある程度限定される生活と違い、

ある時には食事の場としてある時は寝室となる畳の空間。

この特色は日本の中世の長屋の一室空間色濃くみられます。

玄関を兼ねた小さな調理のための土間があり、あとは間仕切り建具の無い究極のエワンルーム空間であります。

おまけに枕屏風ひとつでふとんを隠したり、着替えをする納戸にもなります。

なんと狭苦しい生活なんだろうと感ずるのと同時に、小さくてもスペースがなくても便利で意外と快適ではと感ずるのも

日本人ならではということになるかもしれません。

それは前述の竪穴住居の生活とそんなに違わないかもしれません。

それが、明治以後の「茶の間」の空間に受け継がれたといってもある意味では過言ではないでしょう。

丸い「ちゃぶ台」が良く似合う茶の間も、時と共に消えていきます。

それは、「家族の団らん」、そして「親父の威厳」というものがなくなっていくのと同じ理由なのかもしれません。





■もてなしの空間  − 格式を重んじて −


かつて日本の村や町に「共同体」というものが必用とされ、存在していた時代にそれを担う各家の「客間」は、

一般住宅においてもその家の最も良い場所に格式をもって設けられました。

形式としては、室町時代から江戸時代にかけて作られた「書院造」を手本とした長押(なげし)付きの部屋です。

柱は角柱で、床の間に脇に付書院を持つのが通常です。

この客間中心意識は、次第に私的生活を重んじる時代と共に変化し、家族中心の生活になっていきます。

一人ひとりが必ず共同体を通してでしか生きていけない時に、その儀礼的なものの格式は共同体の生命であり、

一人ひとりにとって切っても切れないものであったのではないでしょうか。

長い年月をかけて築かれたその格式は、形式を通りこして「美しい」とさえ感じられるものになったのです。

いずれにしてもその「格式の美」は、今の時代にあっては虚構なのかもしれませんが、日本人の心の中に

脈々と流れている美のひとつでもあると思います。





■心に残しておきたい 空間としての和室

家におじいちゃん、おばあちゃんがいて、部屋の中では行事が行われ、その孫たちが、トンボを追いながら

犬と一緒に田畑をかけ回る。そんな風景に出会うのが久しくなったにはいつ頃からでしょうか?

大量生産、大量消費でいつしか人は自然を離れ、自由な街の労働者となり、一人ひとりが

「経済」という名のもとに平等となっていきます。


社会−家族−個人の秩序は混乱し、それは家族内でも家族内民主主義とでもいえる考え方によって、各人が直に

社会と、しかも平等に向き合うということになっていったのです。

それは、曖昧で、多目的をひとつの特徴としていた和室にとってかわって、個室が形成されていくことになります。

「プライバシー」という概念の完成です。


どんなに人間の生活や価値観が変化しようとも、常に自然と共にありたいと思うものです。

日本の「和室」はその自然と共に生き、自然に身をゆだね続けてきたのです。

そしてその姿勢を守り続けている日本で重要な生き証人と言えるのではないでしょうか。

それは単なる緑の自然のことだけでなく、どんな共同体をも包み込む、人が生きていく上で必要な

「自然との連続性」ということかもしれません。


次第に少なくなっていく和室だけにしかないとはいいませんが、せめてこれからつくられる和室には、

脈々と流れているそんな想いを残しておきたいものです。





■現代日本の和室


明治維新、第二次世界大戦という節目に西洋価値観が流入し、

そのたび日本文化との融合を迫られ和室も少しずつ変化してきました。

そしていま、地球環境問題という世界規模の課題に日本も、日本の自然も対面しているのです。

日本の和室って何だろう?

今、和室に住むってどういうことなのでしょうか?

一度は思う疑問かもしれません。

ただ言えることは、日本の和室は脈々と日本の自然と共にあったということではないでしょうか。







■素材の力


それこそ現代においては、和室の素材として際限なく考えられます。

昔ながらの土壁から板壁。いまどきのコンクリート打ち放しもおもしろい?のかもしれません。

美しい素材ってなんだろう?

美しい和室って?

『アルミやセメントのようにあらかじめいわゆる建材としてつくられたものではなく、木であり、竹であり、泥であり、石であり、

稲藁であり、殆ど自然の状態で見いだされるいわば「無償」のもの。

その建築にどれだけ無償の存在が含まれているかによって、その分だけいとおしさや美しさを感じるのではなかろうか。

無償性とは、言いかえれば自然との連続性ということであろう。』(「左官礼賛」小林澄夫著より)

日本の自然、そして日本の長い伝統の生活の中に組み込まれてきた和室には、

その自然との連続性が
脈々と流れているといえましょう。

素材、そしてそこで行われる行事や生活しかりです。

それは日本人が無条件に美しさを感ずる程、和室の最も大切な存在理由なのかもしれません。

和室とは、自然を切り取ってながめる空間なのではなく、その素材と共に、

自然とあくまで一体となっている空間なのでしょう。

「素材」その力は思っている以上に大きいと思います。





■洋の空間との融合


明治維新の後、本格的に日本に、「洋風」というものが入ってきました。

建築の分野では洋風とは最初もっぱらギリシャ、ローマを基本としたいわゆる列柱に代表される

古典系のもので数多く見受けられました。

かたや、ヨーロッパのその底辺に脈々と流れているともいわれるケルト、ロマネスク的なものがあります。

おそらく村人たち自身の手によるものであろうその土地の小さな石で素朴に丹念に積み上げられた石壁で

その目地を石灰と土とで塗りこまれたヨーロッパ田舎の民家風なものと思ってよいでしょう。

そう、それはちょうど日本の書院造とは別系統の茅葺、土壁の田舎の民家的なものと同じなのかもしれません。

「格式の美」というようなものがあるとすれば、それは自由であいまいな「素朴な美」とでもいうようなものであるかもしれません。

今の時代ほとんど洋服で、純粋な和服を普段着ている人は少ないように、

和室もいつの時代にあってもその時代精神を敏感に反映した日本の本当の「洋服感覚の空間」であってほしいものです。

つまり、「自然との連続性」を色濃く残す、素朴で洋風な時代に合った和室があってもよいのではないでしょうか。





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